今回の帰省に思うこと

2020年2月に約1週間、帰省してきました。
このエントリーでは帰省について思うことを書きます。
少し退屈なエントリーかもしれませんが、書かざるを得ません。

自分という意識を形作った場所たち

あえて、昔歩いた通学路や帰り道などを歩きました。
小さい足で一生懸命歩いた道は忘れることはありません。

私と私の意識を形作ったこの場所は、やはり特別な場所です。

私の子供達は、この場所ではなく今住んでいる場所で
かけがえのない思い出を作っていく。それと同じ。

今回は中学校にも行った

卒業した中学校の校舎も歩きました。
中学校は改装され様子は随分変わりましたが、
当時のよかったことから黒歴史まで含めて思い出されます。

進化が停滞した街で自分達が年を取ってしまうような感覚

故郷は決して人口の多い街ではなく、
いつ戻ってきても街並みの変化がありません。

まるで、自分達だけが年を取っているような感覚です。

大都市東京にいると、常に進化しています。
私達もその進化に追従していかなければと思うこともあります。
ですが、この場所は違う。

ほぼ、何もかもが、昔と同じ。
人は少なくなったかもしれないね。

家族を助けることは、自分自身のエゴなのだろうか

私は今回、高齢になった両親を助けるために帰った。
でもそれは、本当に両親の助けになったのだろうか。

私としては、遠く離れている両親をいつでもこっちに呼べるようにしたい。
そのためにできるだけ物を減らしたかった。

10年近く放置されているダンボールや、
全く着ていない服、そのせいで存在する大きな家具など、
何の意味があるのか。まるで昔の思い出が、
現在に重くのしかかっているだけのように見えた。

私も将来、ああなるのだろうか?
たくさんの物や家具が、年老いた私の重荷になり、
身動きできなくなるのだろうか。

自分の将来と重ねてしまう。
そう、両親の老後は他人事ではない。
私にとっては自分の将来と重ねている。
自分も同じように、体が少しずつ動かなくなり、
不自由になっていく。その時に自分は両親と同じような
状況に置かれているのだろうか。
それを避けるためにはどうすればいいのか。

本当に大切な両親だからこそ、そう思う。

でも、私のこの意識に反して、
両親の考えていることは違う。
干渉しすぎてもダメだ。両親には両親の考えがある。

私がどんなに未来のことを見据えようとも、
両親と意識を一致させるにはたくさんの話し合いが必要だ。

そうしないと、私の親切はただのエゴとなってしまうかもしれない。

最後に

今回の帰省で、私ができる限りのことはやったと思う。
あとは両親次第だ。