「MMMで仕事をして得られた10のこと」というタイトルで
下記のサイトにブログを投稿させて頂きました。✍
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「VPC LambdaとRDS Proxyはサーバーレスの常識を変えるのか。検証しました!」というタイトルで
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JAWS DAYS 2020 ONlineが開催されました。
最近はコロナの影響で外出出来ていないので、
良質なセッションをオンラインで閲覧出来、とても嬉しく思いました。
簡単な感想を。
効果的なアウトプット計画を立てていきたいと思いました。
紹介されていた書籍を是非とも読んでみたいですね。
セッションを聴くにつれて、私が所属している組織の場合はEKSのアップデートに追従するのは大変かなと思いました。ECSを積極的に活用している状況なのですが、EKSももう少し触れていきたい。
Flask + Serverlessはまさに今試そうとしていたので、とても参考になりました!
早速取り組みます!
AWS 認定 DevOps エンジニア - プロフェッショナルに合格しました。
aws.amazon.com
個人的な所感としては、試験の難易度はSAP > DevOpsです。
SAPは出題範囲が広いので学習に時間がかかりました。
一方、DevOpsは個別のAWSサービスについて深い理解が必要なものの、
SAPと比較して正解を導きやすいほうかなと思います。
明らかな「はずれ選択肢」が多い印象です。
試験は東銀座の歌舞伎座テストセンターにて受けました。
日曜にもかかわらず、AWS認定試験は人気が高く20人くらい受験していました。
アソシエイトレベルの受験者とプロッショナルレベルの受験者が半々くらいでした。
AWSは日進月歩で進化するため、認定資格の有無よりも
常に情報をキャッチアップしているかが大事だと思います。
ですので、正直全然嬉しくない。
引き続き、実践的なAWS力を身につけるために日々精進したいと思います。
ともあれ、合格したので安堵して家路に着きました。
帰り道にヨドバシに寄ってウインドウショッピング。
以上です!
2020年2月に約1週間、帰省してきました。
このエントリーでは帰省について思うことを書きます。
少し退屈なエントリーかもしれませんが、書かざるを得ません。
あえて、昔歩いた通学路や帰り道などを歩きました。
小さい足で一生懸命歩いた道は忘れることはありません。
私と私の意識を形作ったこの場所は、やはり特別な場所です。
私の子供達は、この場所ではなく今住んでいる場所で
かけがえのない思い出を作っていく。それと同じ。
卒業した中学校の校舎も歩きました。
中学校は改装され様子は随分変わりましたが、
当時のよかったことから黒歴史まで含めて思い出されます。
故郷は決して人口の多い街ではなく、
いつ戻ってきても街並みの変化がありません。
まるで、自分達だけが年を取っているような感覚です。
大都市東京にいると、常に進化しています。
私達もその進化に追従していかなければと思うこともあります。
ですが、この場所は違う。
ほぼ、何もかもが、昔と同じ。
人は少なくなったかもしれないね。
私は今回、高齢になった両親を助けるために帰った。
でもそれは、本当に両親の助けになったのだろうか。
私としては、遠く離れている両親をいつでもこっちに呼べるようにしたい。
そのためにできるだけ物を減らしたかった。
10年近く放置されているダンボールや、
全く着ていない服、そのせいで存在する大きな家具など、
何の意味があるのか。まるで昔の思い出が、
現在に重くのしかかっているだけのように見えた。
私も将来、ああなるのだろうか?
たくさんの物や家具が、年老いた私の重荷になり、
身動きできなくなるのだろうか。
自分の将来と重ねてしまう。
そう、両親の老後は他人事ではない。
私にとっては自分の将来と重ねている。
自分も同じように、体が少しずつ動かなくなり、
不自由になっていく。その時に自分は両親と同じような
状況に置かれているのだろうか。
それを避けるためにはどうすればいいのか。
本当に大切な両親だからこそ、そう思う。
でも、私のこの意識に反して、
両親の考えていることは違う。
干渉しすぎてもダメだ。両親には両親の考えがある。
私がどんなに未来のことを見据えようとも、
両親と意識を一致させるにはたくさんの話し合いが必要だ。
そうしないと、私の親切はただのエゴとなってしまうかもしれない。
今回の帰省で、私ができる限りのことはやったと思う。
あとは両親次第だ。
「ジョイ・インク 役職も部署もない全員主役のマネジメント」を読みました。 もともと、所属している会社の読書会の題材となったことにより、読了した本になります。 読書感想をアウトプットとして残しておきたいと思います。
正直な話、リッチが最初に言っているパーティションで区切られたエンジニア毎のスペースを体験したことがない。自分は最初タコ部屋のような場所で仕事していたせいもある。日本のオフィスは狭いのでパーティションで区切られたスペースが用意されないことも多いと思う。
リッチが書いている内容は、現在のエンジニア達のトレンドになっていると思う。プロジェクト進行はアジャイル開発を思わせる節がある。テストコードを先に書くことは、テスト駆動設計の先駆けだと思う。
メンローの喜びを生み出すための仕組みがどれだけ素晴らしいか理解できる。 しかしながら、その喜びを生み出す仕組みが万能の仕組みではないことを本書でも語られている。 それを忘れてはいけないと思う。
所属する組織がどうすれば喜びを生み出せるのか考えてみる必要がある。そもそも、喜びを生み出せる環境なのだろうか?どうすれば現在の組織で喜びを生み出すことができるのだろうか?
この本に書いてある内容では、リッチはリモートワークを取り入れていない。私は今フルリモートワークの会社に所属している。フルリモートワークでは喜びを作り出す仕組みを入れることは難しいけど、取り組んでみることはきっと楽しいはず。エキサイティングだ。成功すれば一冊の本にできるかもしれない。
毎日ペアを組んで開発すること。これは、明らかに有意義な仕事であるに違いない。しかし、それがどれだけ疲れることか容易に想像できる。常にペアのことを考えながら仕事を進めなければいけない。それは自分だけの時間がないことを意味する。でもそれでいいと思う。ペアプロによって生産性が上がれば、組織と自分自身にとって良いことだと思えるから。
ただ、多くの組織では常にペアプログラミングする環境を作り出せていないと思う。隣り合わせで仕事することにより自然発生的な会話の流れでペアプロが発生することはあるが、リモートワークだとそうもいかない。ペアプロを発生させる仕組みを作っていくのは大事だと思う。
「流血、暴力、殺人」という表現があった。たとえば、私がこの言葉を言われた時、心折れずにいられるのだろうか。リッチも後ろのページのほうに書いているけど、人を変えることは難しい。私自身、実は何度か同僚との考え方が合わずに心折れたことがある。誰だってそういう経験はあるのかな。喜びの仕組みを同僚と共有するためにはカルチャーマッチする人材を雇用する必要があると思う。そういう話だとメンローの取り組みは合理的だ。彼らはカルチャーマッチする人材を雇用する仕組みがある。
私自身、ヒーローや知識の塔になりたくはないと思っています。本書に書いてある通り、知識の塔やヒーローに特定の作業が依存してしまうことによりその人は新しいチャレンジが出来なくなる。ついつい、忙しくてスキルトランスファーを忘れがちになるが、スキルトランスファーし同僚を信じることをもっと実践しないといけない。
日本のプログラマーに心理的安全が備わった組織を用意してくれる会社は少ないと思う。とくにSIerはそもそも客先常駐なので心理的安全なんてあるはずもないことをトラウマのように思い出してしまう。心理的安全を作り出すことができる人、そのものが貴重だと思う。
心理的安全は、批判が出てこない組織ではないことも意識しておかないといけない。心理的安全があるこそ、よりよい方向に導くための批判が出る。私自身強く意識しないといけない点だ。
これからも、ストレッチゾーンであり、達成感のある仕事に取り組んでいきたいです。役職や肩書きに左右されない自発的なリーダーシップを持ち続けたいです。自発的なリーダーシップを批判しない文化で仕事をしたいです。
以上です!